前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

日本に生けるブスのコスプレはアリかナシか







そんななか芥川賞作家の西村賢太氏が、反発覚悟で声を上げた。

「やっぱり仮装が許されるのはかわいい子だけだと思います。お化けでもお姫様でもどんなにフリフリを着ても許される。しかし、それに乗じて、集団の力を使ってブスな女性までが仮装するのは、厚かましいし見苦しい。顔を隠したり体型をごまかすために着ぐるみを着るとかならいいですが、無自覚にやっているとしたら同情の余地がなくなります。

 というのも、ブスな女性は、控えめに生きたほうがかわいらしく見える。自分の分をわきまえて、身を隠すように自ら肩身を狭くして生きてこそ、内面からにじみ出る“美”が出てくるんじゃないでしょうか」

 ちなみに西村氏からすると、「あくまでも自分の基準でいえば、世の中の9割5分がブスでかわいい子は5分しかいない。世間的にはかわいいといわれていても、ほとんどがブスに見える」のだという。

 彼の理屈に従うと、来年のハロウィン当日の渋谷は、珍しく人気のない一日になることだろう。よくもまあ自分のことを棚に上げて、というツッコミが全国の女性から聞こえてきそうだ。

西村賢太氏 ハロウィンで仮装が許されるのはかわいい子だけ 

実はワタクシも同意見で、醜女がハロウィンのコスプレをして集団で渋谷に来て、はしゃいでいるのをみるとイラッときます。こればかりはしょうがないのですよ。コスプレするのは自由という意見があるならそれはそれでいいけど、それをこちらに押し付けないでくれって話ですね。


ただブスの定義というのは曖昧です。かくいうワタクシも女性の容姿ってあまり頓着しないのです。どんな女性にもキュートなところというのがあって、それを見つけて好きになります。噛めば噛むほど旨さが溢れるような女性が好きなのです。そんなこと聞いてない。そうですよね。


ここでいうブスというのは、自分がブスなのを自覚して、それなのにハロウィンだからと開き直って無礼講になっている女性です。ブスそのものの定義は曖昧でも、それは見ていてわかるじゃないですかそのイタさみたいなものは男性視点で。


それでもってもっと付け加えるならば、日本人なんてそもそも貧相なのだから仮装なんかしてんじゃねえよって言いたいのです。だから渋谷で仮装してはしゃいでいるニンゲンそのものがイタくみえてしまうのですわ。


で集団心理で調子にのっているから、道ばたにゴミとか捨ててしまうのですよ。コスプレするのは自由かもしれないですけど、集団心理に乗っかって調子こいてモラルハザードをおこす自由はありませんので。


まずは一人でヒトに迷惑をかけずに、それではしゃげるようになってから集団になれということですね。要ははしゃぎなれていないわけですよ。結局ハロウィンって日本人むけのイベントではないということですねいうなれば。