KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

岸部一徳さんの自己主張

若き日の面影が消えても、岸部はザ・タイガースで過ごした日々が、俳優としての「味」につながっている。京都市立北野中時代に知り合い、その後、ザ・タイガースでも一緒に活動した、瞳みのるが明かす。

「タイガースでも、1番手は沢田研二で、サリー(岸部の愛称)は2番手以下だった。でも、彼は2番手以下の生き方を知っている。サッカーにたとえれば、シュートを打つFWではなく、アシストをするMFです。

男が5人集まれば、けんかもありますが、彼は自分を主張することなく聞き役に徹していました。サリーは出過ぎた真似をしないので主役にとっては、『自分の座を奪われることはない』という安心を感じられる存在なんです」

芸能界最高の脇役・岸部一徳が体現する「2番手以下の生き方」

映画やドラマの名演に隠れていますが、岸部一徳というヒトはベースがめちゃくちゃうまいのです実は。これは知るヒトぞ知る話です。音楽的実力からいえばタイガースで一番なのは間違いありません。自己主張しないというのは、カレの謙虚さもあるのでしょうが。


だけど瞳さん。あなたの自己主張が強すぎるから、一徳さんが引っ込んでいたのでしょうが!まあ瞳さんの場合はそれが魅力でもあるのでいいのですが。タイガースは最後ケンカ別れみたいな感じで終わってしまいます。そして問題の中心人物であった瞳さんは芸能界をやめて京都に帰ります。


 

その顛末はこの本に詳しく載っているのですが、瞳さんが京都に帰るときに一徳さんに芸能界を辞めて一緒に京都に帰ろうって誘うのです。その時ばかりは一徳さんも芸能界に残ると自己主張しました。もしこれが京都に帰ってしまっていたらどうなっていたのでしょう。


その後、瞳さんは京都に帰り定時制高校に通ったあと大学生になり、学校の先生になります。それでもって結局また関東に来ちゃうわけです。しかし先生をやっている間はずっとマスコミには登場しませんでした。


けれども定年退職後、しばらくしてタイガースの再結成に参加することになります。帰るところに帰ってきたという感じですね。もし一徳さんも芸能界を辞めて京都に戻っていたら、また集まることはなかったかもしれません。いい接着剤になっていたのですね一徳さん。



花の首飾り(ザ・タイガース)



The Tigers - シーシーシー