KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

高田純次の街のおばちゃんに対する絶妙な返し

渡辺謙と覚えて下さい。


じゅん散歩を毎回観ていると高田純次のみごとな返しによく笑わせられる。冒頭のセリフはそのひとつなのだが、これには伏線がある。いつもどおり番組でカレが街ナカで歩いている。そうするとよく声をかけられる。 


声をかけたのはいいけれども、おばちゃんの中にはとりあえずテレビでよくみる顔だから声をかけてくるというヒトも多い。そうなると高田純次という名前がとっさに出てこないおばちゃんというのが出てくる。 番組的には困ったおばちゃんである。


そんなおばちゃんにたいして高田純次が冒頭の言葉をかけたのであった。この返しにおもわず笑ってしまった。しかしあとで考えたら、これって絶妙な返しなのである。誰も損しないのだ。忘れられた高田純次自身もおいしくネタに昇華させているし、忘れたおばちゃんも笑ってごまかせるし。


空気を一変させる軽妙洒脱さは、さすが高田純次としかいいようがない。 この人の街頭での一般人とのやり取りの面白さは「天才たけしの元気が出るテレビ」のころからまったを失なわれてはいなかったのである。