KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”ツイート”だけでヒトの食い扶持を奪うことは許されるか

のうりん」は県立加茂農林高校をモデルに、農業に青春をかける高校生たちを描いた作品。コラボ観光施策「みのかもまるっとスタンプラリー」を告知するポスターには、同作品に登場するキャラクターの1人・良田胡蝶が描かれていた。11月7日のイベントスタートに向け、同協会が4日にTwitter上で画像を公開していたが、胸元を強調したデザインに「女性を差別的に扱っている」「観光PRとして不適切」などの批難の声が28日頃から寄せられ始めたという。

美濃加茂市、アニメ「のうりん」コラボポスター撤去 ネット上の「セクハラ」「不適切」批判受け 


そもそもこのようなTwitterにおけるツイートが”批難の声”として採用されていいのだろうか。この「のうりん」の件にかかわらず、あまりにもお気軽すぎるのだ。抗議をする方にも責任というものがあるだろう。


抗議として採用されるならば、その抗議したニンゲンの名前と住所は聞くべきなのである。匿名の意見を受けてなんらかの排除をする措置をとるというのは、双方があまりにも制作者に対して無責任すぎる。


排除されることによって食い扶持をなくすヒトがいる可能性があるのだ。それに対してそんなものは知ったこっちゃないという態度は許されるべきではない。食い扶持をなくすヒトはそれこそ作者だけではない。モノを制作するために働くヒトすべてであるのはいうまでもない。


だからこそ抗議するニンゲンにも責任というのはあるし、撤去しろというのならばきちんと話し合いの場に出てきて作者と制作の意図を聞くべきではないのだろうか。それであらためて意見を出し合えばいいのである。


「セクハラ」「不適切」の定義とははたして何なのか。双方が納得する方法はないのかもっと模索するべきなのである。