KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

あらためて”侮辱”というものについて考えてみる

JRの列車内で撮影した障害のある少女の画像を短文投稿サイト「ツイッター」に投稿し、中傷する書き込みをしたとして、札幌手稲署は10日、侮辱の疑いで、札幌市内の私立高校2年の女子生徒(17)を書類送検した。

 送検容疑は8月1日午後、札幌市内を走行中の列車内で、スマートフォンで撮影した同市の無職少女(16)の顔画像1枚を、「わらいとまんないしぬ」などの書き込みとともにツイッターに投稿し、少女を侮辱した疑い。少女は顔に障害があったという。女子生徒は「友達と笑いのネタにしようと思った。面白半分で載せてしまった」と話し、容疑を認めているという。

障害ある少女を投稿で侮辱 容疑の女子高生、札幌手稲署書類送検 


侮蔑(ぶべつ、英語:Insult)は、他者を侮り、蔑み、馬鹿にしたり、罵ったり、ないがしろにする行為の総称である。

侮辱罪(ぶじょくざい)は、事実を摘示しないで、公然と人を侮辱することを内容とする犯罪である(刑法231条)。


以前このブログで、おっさんとして電車の中で盗撮されても開き直ることが大事だということを書いたことがある。こんな小娘に笑われようが別に気にしないというのもあるし、それに対して怒りを表明したところで、結局は相手方につくヤツは多い。


そんなヤツらを相手にしたところで、疲弊するだけで腹の足しにもならない。実際に多いのだ。若い女の味方をする俺カッコいいみたいなのが。そんなのと争うぐらいなら、話のネタにしてブログで毒を吐く方が精神衛生上いい。毒は飲むものではなく吐くものなのである。


まあしかしこの手の小娘というのはクルクルパーなもので、今回の件もそういうのはLINEのグループで内輪の友だちだけでやっていればいいのだ。なぜTwitterでツイートしてしまったのか。Twitterでつぶやいた時点で公然になるというのに。クルクルパーたる所以である。


まあLINEのグループで笑いのネタにして笑ったところで、なんの得にもならないし成長もしないのだが。 小学生の頃、地域に住んでいる障害者のマネをして笑いをとっていたクラスメートがいたが、そいつも成績が悪かったっけ。クルクルパーほど安易にヒトを見下すということか。