KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

今後メディアはクレーマーの意見を掲載するのは止めろという話

昨年の初優勝で“3代目山の神”神野大地(4年)とともに一躍有名人になったのが原監督。講演会やテレビ出演が相次ぎ、週の半分は練習に顔を出さなくなった。  

今季のキャプテンを務める神野は「監督がいるだけで雰囲気が違う。練習にいてほしい」と考える一方で、原監督の行動の意味も理解していた。

「監督は『陸上界を変えたい』と言っていた。テレビに出ることで、野球やサッカーのように子供たちが『陸上をやりたい』と言ってくれれば」  監督やチームのメディアへの露出が増えると“青学は何をやっているんだ”という批判の声も高まった。「監督のミーティングで一番印象に残っているのが『中途半端に出ているから出る杭(くい)が打たれるんだ』という言葉でした」(神野)

【箱根駅伝】連覇の青学大・原監督 メディア出まくり批判を一蹴 

どうも年越しに夜勤というのは正月気分を喪失させて調子が出ない。テレビでも観て盛り上げようかと思ってスイッチをつけたら、横山たかし・ひろしのたかし師匠が車いす姿になっているし。それでも話術はそのまんまであったので安心したが。正月気分なんて吹き飛んでしまった。

それでも箱根駅伝は施設のお年寄りと一緒に観ていた。ついこないだまで大学生だと思っていたのに、いつの間にかテレビに映るランナーたちは自分の子どもぐらいになってしまった。それでもやはり一生懸命走る若者の姿に仕事を忘れて見入ってしまう。


いつも通勤で東海道を使っているので、その道をランナーが走っているとなんだか不思議な気分になる。自分の住んでいるアパートの近くを普通にランナーが走っているのだ。また施設も東海道のすぐそばなので、お年寄りも何人か見に行っていた。


そんなこんなで結果は青山学院大学完全優勝で2年連続の栄誉を手にしたわけだが、監督のメディア露出で批判されていたのだとか。批判をしているのはどういう人種なのであろう。無関係のニンゲンだろうか。だとしたらメディアはこういう声をとりあげるのは止めた方がいい。


そもそもスポーツなんていうのは、監督が週の半分いなくなったところでどうにかなるものでもなかろう。どうにかなると思って批判するようなニンゲンの考えなんて所詮は素人考えに過ぎないのである。そんなもの選手やコーチ、スタッフの力でどうにでもなるのだから。


双方向にやり取りする方法が増えたからといって、それを勘違いしてはダメだろうという話だな。バカは何をいってもOKというわけではなく、今も昔もバカの意見は所詮バカの意見なのだから。バカの壁ってやはり存在する。それを乗り越える努力は必要だが、低いところからバールでこじ開けようとすんなよという話なのである。