KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

無事に43歳に

 誕生日が来るということは、命日に近づくということなのだけれども。でも区切りがなければそれはそれで苦しいのだ。区切りをつけて次の区切りまで意識することで、ヒトは成長するものだと思っている。それは区切りをいくつ重ねても変わらない。

 過去にはいろいろあった。あの時ああしておけばとふり返ることも多々ある。ふり返ってもしょうがないとは言わない。その過去をも跳ねのけれられるような楽しいことがあれば、それでいいのではないか。それもまた区切りである。

 今まで色々ヒトにお世話になったけれど、そういうヒトに迷惑をかけないように。なんでもヒトのせいにしないように。 どんなヒトにでも頭を下げていけるように。夢と希望と愛と生きていけるだけのお金を大事に43歳も過ごしていこうと考えている。

 困ったことに、プレゼントに何が欲しいか聞かれても、なかなか浮かばない。この年になってなおかつ1Kのアパートで一人暮らしをしていると物欲が無くなってくるのだろうか。衣食住が満たされテレビとネット環境があって、バイクという移動手段も持っていて、好きな本が買える金があって、それ以上なにを望むのか。