タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

<スキーバス転落事故>ヒトの命なんて平等ではない



 かたや前途洋々の若き大学生。かたや還暦を過ぎたバス会社の契約社員。人生の格差が生まれるのは当然だ。ニンゲンには格差があるからこそ、社会は回っている。運転手さん寄りのニンゲンだからこそそう考えるのだ。

 戦争だってそう。なぜ戦争をやるのか。それはニンゲンに格差があるからである。戦う間柄だけではない。同じ国同士でも格差があるから、戦争に行くニンゲンと行かされるニンゲンとに分けられる。それをコミュニティがうまく調節することによって、戦争に熱気がうまれる。

 自爆テロだってそうだ。自爆させられるニンゲンというのは、コミュニティにとっていらないニンゲンだからこそ自爆させられるのである。宗教の下で死後の世界があると現世で言っているけれども、それは隠れ蓑にすぎない。”現世”において、命の格差というものは存在するのである。 

 今回の事故の件について、この運転手さんに本当に家族がいないのか、いるのに出てこないのかはわからない。ただいえることは、60歳も過ぎてそれでも契約社員として働いている。そして多数の若者を死なせてしまったという事実があるということだ。

 どんなに生きるために頑張って働いていたとしても、こういう事故を起こしてしまったら、誰もかばってはくれない。ある意味では本人にとって死んでよかったぐらいである。生き残ったとしても、絶望的な人生しか待っていないのだから。

 死んだほうがマシという現実も世の中にはある。そして惜しまれる死に方というのも世の中にある。激しい競争社会の中でそれははっきりと浮き彫りにされている。