KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

〈ベッキーとゲス川谷の不倫報道〉そろそろ考えなくてはならないこと

これまで清純派で売ってきたベッキーにとって、この手のスキャンダルは致命的。離婚届を「卒論」と称し、既婚者の川谷に妻との離婚を迫っただけでなく、「週刊文春」(文藝春秋)の直撃取材を受けた後も「ありがとう文春!」「センテンス スプリング」と開き直っていたことが判明。猛烈なバッシングを浴びている。
 これにより、抱えていた10本のCMは契約満了を含め、全滅が濃厚。10本あるレギュラー番組も、大半を失う可能性が出てきた。

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 もうここまでくると何が本当なのかがわからない。この一件に関してはこのブログでも何回かとりあげてきた。基本線として不倫はよくない。それについて擁護はしない。だからといってみんなでよってたかって責めたてるのもいかがなものかという感じだ。

 週刊文春だって別に義憤にかられて告発しているわけではない。不倫した二人を責め立てているヒトたちに言いたいのだが、あくまで週刊文春は商売としてやっているということを頭に入れておいていただきたいのである。

 商売となれば、出版業として面白おかしくすれば売上も上がる。そうなってくると事実を多少ねじ曲げることも良しとすることもある。週刊文春が根拠としているLINEのやり取りだってどこまでが本当だかわかりはしないのである。週刊文春がすべて正しいとするのは危険だ。

 そろそろ考えなくてはならないこと。それは一人一人がどこでこの問題を幕引きするかということだ。どこまで制裁するのが適当なのか、いまだにネットの掲示板なんかに匿名で二人を責めたてることを書いているヒトも考えるべきである。歯止めが必要だ。

 スキャンダルが暴走することにより、 色々なシャレにならない事態に陥る可能性だってある。そうなっても誰も責任はとらない。というかとれないと言ったほうが正しいか。ただネット上で責任をなすりつけることしかできないのである。