KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

読書生活に大きな転換をむかえた日

 なんと誕生日プレゼントにKindle端末を頂いてしまった。先日ブログで電子書籍について難癖つけたばかりだというのに。しかしせっかく頂いたのだから、これは活用しなくてはいけない。とはいってもやはりお気に入りの本は紙の本として部屋の本棚にしまっておきたい逆断捨離ニンゲンなのである。

 ではどういう風にKindle端末を使うか。いくつかの案を思いついた。まずマンガはどうだろう。むかしはよく読んでいた。小中学校のころは毎週ジャンプは購入したものだ。しかし今はまったく読まなくなってしまった。 

  絶版マンガが復活すればいいのになあ。飯森広一先生の「レース鳩0777」とか子どものころ好きだったなあ。紙では再版は難しくても電子書籍ならハードル低いのではないかな。Amazonさんどうかここはひとつご一考を。あとは小説と雑誌か。マンガもそうだけれども、紙だとかさばるようなものに使うのもいいかもしれない。

 もうひとつ電子書籍のいいところは、全集を持ち歩けるところだろう。アパートに梅棹忠夫先生の著作集が20冊ぐらいあるのだけれども、一冊が分厚くて持ち歩けないのである。内容だけ持ち歩けて外出先で読めたら便利この上ない。 

 ところでなんで電子書籍に違和感があるのかわかった。紙の本だと読んでいる最中に親指の先であとどれぐらいページが残っているか感覚でわかる。 電子書籍は当たり前だけど厚さは変わらない。そこのちがいなのだな。