KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

韓国とスポーツで試合し勝つのに武士道精神はいらない

サッカー男子のリオデジャネイロ五輪最終予選を兼ねたU-23アジア選手権で、韓国代表は1月30日の決勝で日本に逆転負け。韓国メディアは「一瞬に崩れた韓国」「骨身にこたえた」などと悲壮感を漂わせた。対戦前に、勝利したら韓国の伝統衣装で会見に臨むと啖呵を切った韓国監督は、リオ五輪で日本との再戦があれば「必ず相手の鼻をへし折る」(朝鮮日報)と語り、品格を疑わせた。決勝で「日本をひざまずかせる」と高飛車だった韓国ネットユーザーも「悔しくて眠れなかった」などとコメントし、韓国中が敗戦ショックにうちひしがれた様子だ。

日本に逆転負けした韓国サッカー代表監督の品格なきビッグマウスに辟易 「次は日本の鼻をへし折る」となお息巻くが… 

「ドーピングをしない理由」について、多くのメダリストが親や指導者から「ズルはしない」や「勝ち負けより一生懸命に頑張ることが大事」といった教えを受けたことを挙げました。また、「根底に武士道のような信念を持っている」といった回答も多く、「武士道」につながる日本のフェアプレーの精神が大きな要因になっているとみられます。

“武士道精神”が根底に 日本人がドーピングしない理由 

 韓国だけではない。世界のどの国とでもスポーツで勝つというのならば、”武士道精神”は邪魔なのだ。国威発揚という意味で考えれば、武士道精神を貫いて負けるよりも、なりふり構わずにやって勝ったほうが効果は大きい。

 品格品格とうるさいニンゲンは日本にどこにでもいるが、そんなに品格が大事ならば、品格を守って負けたニンゲンに対して負けて情けないとかそういう言葉を投げかけてはいけない。品格を守ることと勝負に勝つことは両立しないのだ。

 さらに言うならば、たとえば韓国人から試合前に挑発的な発言をされたとしよう。屈辱的なことを言われても、武士道だ品格だなどといって黙らされているような選手は、やる前にすでに気持ちの戦いで負けている。言われたのならその上をいく皮肉をこめた挑発的な発言をするべきなのである。

 武士道精神というのは、日本の中においては通用しても、世界では通用しない。ルールの隙間を突いたズルをするぐらいでないと勝負には勝てない。一生懸命やろうが、結果が出せなければ意味がない。一生懸命やって最下位のニンゲンよりも、ルールの隙をついたズルをして1位になったニンゲンのほうが世間は評価する。

 そもそも武士道精神だ品格だとうるさい監督やコーチに限って根性論を振りかざしては、不条理で過酷な練習を課す。そして選手が壊れようものなら気合が足りないと平気な顔をして言うのである。そんな監督やコーチのもとでは世界で戦えない。

 世界の選手と試合して、審判があきらかに間違った判定をして負けたというのに、自分が弱いから負けたとか言ってしまうヤツはハッキリ言ってダメなのだ。日本人として間違いではないが、勝負の世界では落伍者である。