KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

〈清原覚醒剤問題〉むしろここからが清原の試されるとき

その後、清原容疑者の今後について、出演者たちが激論を交わした。堀江貴文氏が「(覚せい剤使用を)やめられないんじゃないですか」と突き放せば、司会の太田は薬物と野球ふたつのうち、野球を最終的に選ぶはずだと断言する。

そんな議論に杉村は割って入り、「今の段階でね、清原容疑者に対して更生の話は完全に時期尚早です」と主張したのだ。これに太田が「更生するなってわけ!?」と食ってかかる。

しかし、それにも構わず杉村は、清原容疑者の行いは一般企業なら即解雇だと断じた上で、「芸能界は非常に甘いと思う!」「こんな年がら年中、逮捕者を出すような業界はない」と芸能界の反応を批判した。

杉村太蔵 清原和博容疑者の薬物事件をめぐり太田光と対立「更生の話は時期尚早」 

 はっきりいって時期尚早だとは思わない。むしろ過ちを犯したニンゲンはすぐに更正しなくてはない。更正が時期尚早というならなにをするのかという話だ。それともなにか。みんなでどれだけの完膚無き厳罰に処すればいいか話し合えばいいのであろうか。

 そしてお望みどおり完膚無きまでの厳罰に処した後どうするのか。杉村太蔵には清原を更正させる秘策でもあるのだろうか。そんなことは考えていないだろう。おそらく後はのたれ死にしようが知ったこっちゃないという態度を取るのではないだろうか。 

 そもそも更生させることと、元の生活に戻らせるというのは別の論議だ。刑期を終えれば無かったことにしましょうということではない。そこをすっ飛ばして”更生させるのは時期尚早”とかいうのは、過ちを犯したニンゲンの再生を阻み死ぬまでどん底の生活をしろと言っているようなものだ。 

 芸能界が甘いというよりは、一般社会がニンゲンの再生に対してあまりにも無関心なだけだ。犯罪者の罪状はそれぞれあるけれども、ことクスリに関していえば、捕まったときから社会に出るまで、更生についてきちんと考えられるべきものなのである。