KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

介護に従事するニンゲンの問題について

「夜勤から通しで昼間も仕事していた30代の同僚が担当する認知症の入居者に何度も叩かれたことに激高して、平手打ちを浴びせたこともありました。しかも、『お前なんかさっさと死ね!』と大勢の入居者がいる前で暴言を吐いてしまった。

薄給で重労働、疲れた介護職員の証言「入居者をぶん殴りたくなることも…」 
 最近、保育士の労働条件の悪さのほうが問題になっていて、介護の労働条件の方は大っぴらに話題にしちゃいけない雰囲気になっている気がする。もちろん保育士の待遇を良くしないといけないのはわかるのだが。

 ただ老人福祉の方にばかり金をかけているとか言われてしまうと複雑な気分にはなる。そこで対立しないといけないの?という感じだ。老人福祉に従事しているほうは、保育に従事しているヒトに対してなにも言えないのだから。

 どっちが激務で待遇が悪いかなどと老人福祉の側が、こっちのほうが悪いだなんて言おうものなら人格すら疑われてしまう。未来を担う者を担当するのと未来が無い者を担当する者とでは同じ土俵に立てないのだ。それに言い合ってもなんの問題解決にはならない。

 どこかで折り合いをつけて、互いに協力することができればいうことないのだが。むずかしいことなのだろう。両方で足の引っ張り合いをしていてもらって、自分の方に目を向けないでもらった方が金を持っているニンゲンには好都合だろうし。 

 また介護に従事しているほうは、対お年寄りというよりは、対同僚であったりとか、対介護のホワイトカラーのほうが問題なのだ。 労働条件さえ改善されれば、対お年寄りのほうは良くなるはずだから。

 労働条件が悪くて、そういうところから同僚内で足の引っ張り合いをする。また介護職におけるホワイトカラーのブルーカラーに対する高圧的態度に腹が立ったりする。そこが問題なのである。

 介護の研修で介護職員に教える立場のニンゲンが「待遇が悪いのは介護職員の介護技術が未熟だからだ」と言っているのを聞いたときにはまあ腹が立ったものだ。無神経というかなんというか。