KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

公共の電波を使って芸人が芸人の足を引っ張ってどうする

 以前にも2016年R-1グランプリ短感という記事に書いたけれども、今年のR-1グランプリの優勝者、ハリウッドザコシショウ氏について、ネットニュースでいまだに批判されている。きのうの東京MX「バラいろダンディ」でもとりあげられていた。

 お笑いというのは、笑いのツボというのはヒトそれぞれだし、個人が面白い面白くないと言うのは自由だ。個人に対してじゃあお前が舞台に立って面白いことをやってみろよなどとも言わない。(たまに個人対個人でのこちらのネタ批判に対して挑発目的でワザと言うことはあるけど) 

 ただテレビやネットニュースという大きい影響力を持つ媒体の芸人批判には、不条理だったばあいには文句をいわせてもらう。 きのうのバラいろダンディのコメンテーターのひとりに浅草キッドの玉ちゃんがいた。で、今回のハリウッドザコシショウ批判記事にコメントをしていたのだが、なんでこんなことを公共の電波で言うかなと感じた。

 要は自分の番組に出たときに、お約束もわからない、ロクにトークもできない、二度と共演したくないみたいなことを言っていたのだけれども、そんなのは自分の胸にしまっておけよって話だ。軽い毒を吐いているようにみえて、結局は強い者に媚びてるのだ。

 ああ、メディアさま。あなた方が芸人を批判しようが、私たちは身分が低いから従います、とりあえず批判されている芸人は私も批判しておきますねと。そういう風にしか聞こえない。結局それって自分で自分のクビを締めているようなものなのだ。

 もしどこか足りないところがあるのならば、本人に直接言えばいいだけの話。批判記事に対してのコメントとして公共の電波を使って言う言葉じゃない。これが芸人のお約束と言うのなら、本当に芸人の世界なんてくだらないという話だ。