KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

乙武くんと不倫をした女性たちについて考える

乙武氏は「このたびは私の不徳の致すところにより、多くの方にご迷惑、ご心配をおかけして、たいへん申し訳ございません」と謝罪。「報道された私の行いは、これまで支えてきてくれた妻と、私を慕ってくださっている方々を裏切る行為であり、決して許されるものではありません」と自らの行為を断罪した。

乙武氏、オフィシャルサイトで不倫を謝罪 妻のコメントも掲載 

 週刊新潮、そこに手を出してきたか。最近、週刊文春にやられっぱなしだったライバル誌だったが。今度の参議院議員選挙に出馬を噂された乙武洋匡氏。なんか推薦する方も、SPEEDの今井絵理子とか、なんか安直な方向にいっているなと感じた矢先のできごとであった。

 もう不倫ほどどうでもいいニュースというのもなかなか無いものだ。別に一般のヒトに迷惑をかけたわけでもなし、当事者の間で話し合って決着をつければいいだけなのだが、週刊誌にとってはそうもいかないのだろう。いまのご時世、紙媒体も必死だ。必死すぎてむしろこっちがひいてしまう。

 また世の中の一部のヒトは、こうしたモラルに反したヒトをみつけると、よってたかって叩くのが好きなのだから呆れる。 イエス様はある罪を犯した女性へ石を投げて処刑しようとしたヒトたちに、罪を犯したことのないヒトだけ石を投げなさいと言って石を投げることを思い止まらせたことがあった。

 それが昨今では、こいつよりかは重い罪は犯していないといって石をバンバン投げてしまう。困った世の中だ。ただ乙武君が相手だとやはりみんな遠慮がちになっている気はするけど。

 乙武君がうんぬんというより気になるのは、いったいどんな女性が乙武君と不倫したのかということだ。乙武君と不倫してなにが楽しいのか。行為に至るまでに、なにからなにまで世話をしなければならないではないか。

 思うにきっと乙武君と不倫をする女性というのは、不倫の罪悪感よりも、自己陶酔感の方が強くあったのであろう。こういうヒトと行為をしてしまう自分は、なんと慈悲深いのだろうと。乙武君のボタンを外してあげながら、そう考えていたに違いない。