前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

40過ぎてズシリと響く言葉







嫌なら辞めなさい勉強は贅沢なんだから

両親が面倒見てくれて学校に行かせてくれるだけでなく

高い授業料を払ってくれる恵まれた環境にいる

それなのにやる気にならない

自分がいかに恵まれているかも分からない人間が

勉強したって意味がない 

 林先生の言うとおり。ただこれって40過ぎた今だからこそ痛感する言葉であり、未熟なときには(今もまだ未熟だけれども)全然理解できなかった言葉だ。学校生活というものに挫折したニンゲンなもので、そういうことを理解することから逃げていたフシがある。

 なぜイジメを受けてまで、学校に行かなくてはいけないのか疑問だったのだ。だから登校拒否という選択肢をとった。別に他人のせいにもしなかったが、自己責任にもしなかった。だから勉強することから逃げても平気だったのだ。

 もっとシンプルに勉強というものをとらえておけばよかったのだ。学校にいくことと勉強することは、おんなじようで違う。その違いを理解できていたらよかったのだと今にして想う。勉強したくてもできないヒトはたくさんいるというのは、わかっていたはずなのだけれども。

 ただ救いなのは、今でもまだ遅くないということか。勉強すること自体に遅すぎるということはないわけだし。なんだかんだ言っても今生きている社会は、勉強するということに関していえばできる環境にあるわけだから。