KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ととねえちゃんに泣く

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 日中はずっと雨が降っていて、職場から見る江ノ島もごらんのとおり。

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ゴミ処理場の煙突方面

 桑田佳祐江ノ島が見えてきて自分の家が近いと感じるが、私は横浜方面からバイクで帰るときに、このゴミ処理場の煙突が見えることで、自分の棲家が近づいたと感じる。みんながみんな湘南棲みは江ノ島を通るとは限らないのである。 

 もとはNTTの社宅があった職場の前の工事現場もどんどん整備されていく。マンションが建つのだとか。まだ社宅があったときに通ったことがあったが、古めかしい味のある社宅だった。時代の流れでこうした建物はどんどん消えていく。

 シフト制の仕事なので、4日出て1日休んだ後に3日出なくてはならない。疲れるが、ぜいたくは言えまい。何十年か前には週休1日どころか2週間に1回しか休みのないヒトもいたのだとか。昔のヒトはよく働いたものである。

 仕事が終わったあと、録画していたととねえちゃんを観る。朝ドラを毎回観るのは、ごちそうさん以来。第一週だというのに、お父さんが結核で亡くなるのは知っていたのでそれをふまえて泣けてしまう。このドラマはヒロインの妹役の子がおカッパ頭なのだけれども、それもまた泣ける原因だ。

 あれはきっと火垂るの墓の影響にちがいない。おカッパ頭の幼い子が迎える不幸をおもうと不憫で泣けてくるのである。またこの子が子役特有のこましゃくれた感じのしない子なのでよけいに不憫度が増す。