KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

みんな最近ロスロスしすぎ

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 今日は雨は降らなかったが、あいにくの曇り空で、夕方は富士山みえず。国道一号線を挟んだむこうの芙蓉カントリークラブのある丘は桜が咲き誇っている。風もなく穏やかな日だった。とりあえず今日もなんとか頑張って働いた。

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女優の高畑充希さんが主演を務めるNHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」の8日の放送で、俳優の西島秀俊さんが演じるヒロイン・小橋常子(高畑さん)の父・竹蔵の最期が描かれた。娘たちに“とと”と呼ばれ愛された竹蔵の死は、ネットでは「早すぎる死」「再出演の予定はないのか?」などという声も上がっている。

とと姉ちゃん:早くも“ととロス”か!? 再登場求む声も西島秀俊は「1週間で死ぬのもいいと思う」 

 しかしあれだ。このごろみんな”ロスりすぎ”ではないか。前作でも同じようなことを言っていなかったか。ニンゲン誰しも必ず死ぬのだから、ドラマでいちいち再出演の予定はないのかとか言うのは野暮ってもんだ。

 長女である常子が、父親の死によって、父親がわりになるから「ととねえちゃん」なのであって、またととに再登場願ったら「ととねえちゃん」という題そのものが台無しになってしまう。第一週でととが死んでしまうことに意味があるのだから。

 西島秀俊という俳優さんは、以前レッドクロスという第二次世界大戦を舞台にしたドラマでヒロインの夫を演じ、最期は戦闘で両手両足を失って、偶然運ばれた野戦病院で看護婦の妻の前で死ぬ役を演じたことがあったが、そのときも淡々と死の無常さを演じていた。

 このヒトはこういう役をやらせるとうまいしハマる。いい意味でアクがない。あまり長生きさせてはいけないのである。”役柄は”だけど。