KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ライブにリハビリしに出演したみたいになっていた

 ライブ会場にむかう途中、駅で募金活動をやっていた。自民党の集団がいて三原じゅん子がマイクを握って演説していた。その近くで若い男性2人も募金活動していた。1人が大きな声で募金を呼びかけていた。とりあえず若者2人に募金を託すことにした。自分にできることは、ふだんどおり仕事して、給料の中から募金するしかない。

 高円寺にてライブ出演。今回は大喜利のみ。なにしに来たのだという話だが、いまの自分のばあい、人前でなにか面白いことを言おうとするのが重要なのであった。面白いかどうかは別にして、答はポンポン出てきた。

 会場は公民館なので、いろんな部屋がある。となりの和室では、マザー・テラサワさんが読書会をやっていた。ライブがなかったらこっちに行ってたな。この企画は参加人数は少ないけど、実に面白かった。自分もやってみたいと思ったもの。

 とりあえず今回、何人かとは挨拶したり軽い雑談をした。福祉関係の仕事をするようになってからか、プライベートでヒトと接するのがキツくなってきた。集団で食事とか特にキツい。1人かごく親しいヒトと2人が落ち着くのであった。しかしそれではいかんよなあとは思っているのだけれども。