KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”ネット民”に対してはこういう暴論で語るしかない

 ”ネット民”という言葉は時たま出てくるけれども、そこまで特別な存在なのだろうか。ネットなんてそれこそスマホでも簡単にみられるわけだし。ただ一つだけこういうヒトのことを”ネット民”っていうのかなという特徴がある。

熊本県を中心とした地震で、実家が全壊したことを明かしたタレントの井上晴美。被災後、現地の状況などを自身のブログで伝えてきたが、ネット上では「食べるものもないのに電池使ってブログ更新ですか? 余裕ありますね」などと心ない誹謗中傷を受けることに。それにより4月18日「これで発信をやめます これ以上の辛さは今はごめんなさい 必死です」と、ブログの更新を停止することを発表した。

井上がブログを一時閉鎖したのは良い判断だと思います。有名人が何かを発信すれば、必ず誰かが叩きにかかる。これを止めるためには、それぞれが想像力を豊かにして、相手の立場を考えること以外ありません。

被災した井上晴美までも叩きにかかるネット民の恐ろしさ
 
 それは”ネット上でテレビに対して侮蔑の感情をむき出しにする”ということだ。ブログやSNSや掲示板などで匿名非匿名にかかわらず「テレビは観ない」と公表したり、「マスゴミ」とか書いてしまうヒトである。そういうヒトの中には、テレビで活躍する芸能人を下に見ているヒトも少なからずいるのであろう。

 ”芸能人は大衆より下なのだからなにを言ってもいい””大衆は名前を出さずとも公衆の面前で芸能人になにか言える権利があるし、それがネットの特徴なのだ”そういう風に考えているのではないか。単にゼロかイチかどうかが重要で、ニンゲンの感情は二の次になってしまっている。

 だから「それぞれが想像力を豊かにして、相手の立場を考えること以外ありません」というこのネットアドバイザーの意見なんてもうとってつけたような空論でしかない。”大衆”の意見は強いのだから芸能人は黙ってそれに従えと言ったほうが潔いではないか。

 叩いているニンゲンなんて想像力を持つことをハナから放棄しているのだから。ゲーム感覚なのだ。ゲームなんて突き詰めればしょせんはゼロかイチで出来ているものだし。それで誰か芸能人がなにかをやめてもイチがゼロになっただけ。ブログ止めようが自殺しようが単にイチがゼロになっただけのことなのだ。