KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

車はあくまでも快適に暮らす道具って奥田民生が歌っていた

 一応は車の免許を持っているが、この歳になっていまだにマイカーというものを持ったことがない。子どものころはスーパーカーブームなんかもあって自動車が大好きだったはずなのに。漫画「サーキットの狼」で主人公が乗っていたロータス・ヨーロッパに乗るのが夢だった。 
18歳になったら免許を取得して、女の子を助手席に乗せてドライブデートをするものだと思っていた。間もなく32歳。免許は未だに持っていない。 こういう話をすると、ちょっと上の年齢層の人から、結構馬鹿にされる。

若者が車を購入しない理由1位「買わなくても生活できる」――「買い物でローンや借金はしたくない」という傾向も 
 ”買わなくても生活できる”

 たしかにそうなのだけれども、”ちょっと上の年齢層”のヒトは、「金がないだけだろ」とか言ってしまうんだろうな。このあたりの年齢層男性は女性を振り向かせるためにちょっと無理してでもいい車を買おうとする最後の世代なのかもしれない。

 こういうヒトって同性は連帯するより戦う相手という思考なので、車の免許を持っていない男性を小ばかにする習性があるのではないか。そういうところが若者から嫌われる原因のひとつであるというのを自覚するべきである。

 現在、ロータス・ヨーロッパの代わりに125㏄のスクーターに乗っている。アパートの最寄り駅(徒歩20分)である辻堂駅バイクの駐輪場がたくさんあるので、遠出するときはもっぱら駅にバイクを止めて電車に乗っている。 一人暮らしだと本当にこれで十分だったりする。

 負け惜しみでもなんでもない。むしろ一人のくせに車ででかける方がナンセンスだ。ここまで言ってそれでも車に乗っていないことを揶揄するようなら、ああバブルの残滓が女性の寵愛を受けるための戦いを求めてさまよっているねと言えるだろう。

 もしかしたらアッシーとか言われてもなにも感じずヘラヘラしていた人種かもしれないそういうニンゲンは。本当に車が好きなヒトもしくは車はあくまでも生活の道具と割り切っているヒトだったら揶揄なんてしないだろうから。