KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ネットニュースのテレビ番組潰し記事に物申そう

 どうしてもニンゲンは新聞でもネットでも見出しだけ見て自己完結してしまいがちだ。関心がないと内容まで読もうとはしない。そうなってくると見出しのみの情報だけが頭の片隅に残る。見出しだけ見てそれっておかしくない?という疑問を呈するヒトもあまりいない。 
「初回視聴率は今世紀2番目」「第1週平均視聴率で『あさが来た』超え」「自己最高更新&平均視聴率2週連続で20%の大台突破」などなど、連日、華々しい数字が取り上げられ、「好調」とうたわれているNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』。

 だが、朝ドラファンの間では、こうした報道を疑問視する声も出ている。

 絶好調のNHK朝ドラ『とと姉ちゃん』に意外な不評「残念な場面が……」
 テレビの感想記事というのは、元手や手間をかけない割に注目度が高い。広告収入が頼りのネットニュースにとっては重要なコンテンツと言えよう。彼らにとっては視聴率というわかりやすい指標も用意されている。批判してのちに視聴率が下がりようものなら、それみたことかといってもう一つ記事が書ける。

 中にははじめに批判ありきで書いて的外れになっている記事というのも当然ありうる。

「近年の朝ドラのあおりは、ちょっと度が過ぎる印象がありますね。『ゲゲゲの女房』で放送時間を変え、『あまちゃん』以降には男性視聴者からも注目されるようになったこと、ドラマが軒並み数字を取れない時代に20%を獲得するのが、もはや朝ドラくらいだということに異論はありませんし、『あさが来た』が好評だったことはわかります。でも、その『あさが来た』も“今世紀最高”とやたらとうたうのは、違和感がありますね。そもそも2003年の『こころ』までは20%を下回る作品はひとつもありませんでしたし、『おしん』に至っては平均視聴率52.6%ですからね。時代が違うとはいえ、いま朝ドラが史上最高の盛り上がりにあるような言い方は、ちょっと違うんじゃないかと思います」(朝ドラウォッチャーの週刊誌記者)
 たとえばこの”朝ドラウォッチャー”のコメントも本当にウォッチャーなのか、単に批判ありきでとってつけた肩書じゃないのかと邪推してしまう。”時代が違う”と言われる前に自分で”時代が違うとはいえ”ときちんと予防線を張っているところも気になる。

 しかしこの”朝ドラウォッチャー”が予防線に使う”時代が違う”という言葉はテレビにおいては大きな意味を持つ。「おしん」の頃は今よりも専業主婦が多く朝テレビを観られるヒトが多かった時代だ。それだけでも条件がまったく異なる。”時代が違う”とひとこと予防線を張っただけで同じ土俵にあげ比べられるものではない。

 また「おしん」が放送されていた昭和58年はビデオの普及率は約18%。今は誰でもレコーダーを持っている時代。視聴のしかたが幅広い。視聴率だけで観ている観ていないという優劣をつけられる時代ではないのだ。

 このあとの記事なんてもう難癖としかいいようがない。たとえその表現を実現したとしても大勢には変わりがないだろう。それが「ととねえちゃん」を毎回観ている側の率直な意見である。