前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

厳しいことがいえるワタシ







 政治家や芸能人というヒトたちはよく公人であるといわれる。また不倫というのは私的なものであり、直接公に被害を与えるものではない。当事者間で解決すべき私的な問題であり、基本われわれがどうこう言う筋合いはない。
 (オリエンタルラジオ)中田はベッキーの一連の騒動における対応について「公的にはまだ本当の事を言ってないし認めてないっていう認識」だとし、今回の手紙でそれがつづられていることに「それってプライベートで奥さんにわたすとか、文春にわたすためのものであって、それが間接的に伝わることも狙ってるところが、僕はあざとく感じる」と何らかの別の意図が込められていると憶測し、「だから奥さんも(謝罪を)受け付けないんじゃないか」と自身の見解を示した。

真矢ミキ、中田敦彦の厳しいベッキー批判に困惑 
 そう考えているニンゲンなので、この記事中にある「公的にはまだ本当の事を言ってないし認めてないっていう認識」という”認識”にまったく同感ができない。本当のことを公に言ってどうなるのという感覚だ。むしろ公にしてさらに悪意を持ったものに突っつかれて再起不能になってしまったら、どう責任がとれるのかって話だ。

 まあ責任逃れのために「自己責任」という便利な言葉があるわけだが。公においての制裁は芸能活動休止している現状をもってすでに終わっている。それを蒸し返して公衆の面前に引きずり出そうというのは、リンチのようなものである。

 また”ガッカリした”のだから公に謝罪しろというのも、その”ガッカリした”というのは私的な感情であり、公の場で謝罪させる根拠にはならない。 むしろ”厳しいことを言える自分”をアピールしているようにしかみえないのだった。