KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

1杯のかけそば

 昭和から平成に移り変わるころ、ある童話がワイドショーなどで話題になった。きっかけは国会質疑で公明党大久保直彦さんが時の総理竹下登さんにリクルート事件の問題に絡めて紹介したのがはじまりだった。

 それから週刊文春が、”読む人誰もが涙するという幻の童話”という触れ込みで全文を紹介する。内容は、

1972年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁(架空の地名)にある「北海亭」という蕎麦屋に子供を2人連れた貧相な女性が現れる。閉店間際だと店主が母子に告げるが、どうしても蕎麦が食べたいと母親が言い、店主は仕方なく母子を店内に入れる。店内に入ると母親が「かけそば(つゆが入った器に茹でた麺を入れただけの、種を入れていない蕎麦)を1杯頂きたい(3人で1杯食べる)」と言ったが、主人は母子を思い、内緒で1.5人前の蕎麦を茹でた。そして母子は出された1杯(1杯半)のかけそばをおいしそうに分け合って食べた。この母子は事故で父親を亡くし、大晦日の日に父親の好きだった「北海亭」のかけそばを食べに来ることが年に一回だけの贅沢だったのだ。翌年の大晦日も1杯、翌々年の大晦日は2杯、母子はかけそばを頼みにきた。「北海亭」の主人夫婦はいつしか、毎年大晦日にかけそばを注文する母子が来るのが楽しみになった。しかし、ある年から母子は来なくなってしまった。それでも主人夫婦は母子を待ち続け、そして十数年後のある日、母とすっかり大きくなった息子2人が再び「北海亭」に現れる。子供たちは就職してすっかり立派な大人となり、母子3人でかけそばを3杯頼んだ。
というもの。この童話を作者の栗良平というヒトが、全国行脚して読み聞かせしていた。実話といわれていたのだが、どうも辻褄が合わないのではないかと問題にもなった。

 当時フジテレビのワイドショー番組「TIME3」で、東海林のり子さんが朗読し、読み終わった後に「どうだ。感動しただろ?」とドヤ顔でカメラ目線でアピールしていたのを覚えている。しかし一緒に観ていた母は、

「ソバ屋で一杯を3人で分けるぐらいなら、私はその分のお金でスーパーで3玉分買ってあんたらに食わせるわ」

と身もふたもないことを言っていた。 

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 たしかにその方が安上がりだけれども。ちなみにこの写真はいつも利用しているスーパーで撮った。うどんだけど。

 その後は結局、作者のスキャンダルが報じられ、またたく間にブームは終焉をむかえてしまった。いったいあの日本全国を巻き込んだ涙の押し売りはなんだったのであろうか。東海林さんのドヤ顔が今となっては悲しい。その落差の激しさが印象深いブームであった。