KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

人生はあっけない

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 夜勤明け。仕事のひとつに朝と晩に温かいおしぼりを配るというのがある。手を動かすことができないヒトは顔を拭いてさしあげる。

 昨日もいつものように、ある男性のお年寄りの顔を拭いていた。たまたまお見舞いに来られていた奥様が、「丁寧に顔を拭いて下さりありがとうございます」と丁寧にお礼を言われた。

 こちらは単なるルーチンワークの一つとしてやっているだけなので、ちょっと面食らう。それでも笑顔を作ってひとことふたこと言葉を交わす。 

 そうしたら翌朝急変し、そのお年寄りの方が亡くなってしまった。家からやってきた奥様は顔を合わせるなり、また昨日の顔拭きのお礼を言われた。バタバタしていたのだが、とにかく立ち止まって深く一礼をした。

 奥様は予感していたのだろうか。ひとつの幕引きのために、誰かにお礼を言おうとしたのだろうか。カーテンコールのように。

 それにしてもあっけないというか、死というの急に訪れる。病気なのだから当たり前なのだけれども、覚悟もできないまま死ぬために呼吸している。しかし穏やかに死ぬために呼吸しているとも言える。

 などということを考えていたら、明日は祖母の誕生日会があるから来いと妹から招集がかかった。なんというタイミングか。とりあえず行ってくる。

 というわけで、朝方バタバタして外の写真を撮るヒマがなかったので、アパートの傍らに咲いている花を撮ってみた。