KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ニンゲン旅を諦めたらそこでオシマイ

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 そしていつもの夜勤明けの朝。仕事終わって早々、同じく夜勤だった主任さんと仕事の話をする。僕は仕事が終わるとしばらく脳みそがヘロヘロになってしまうので、本当は仕事の話はしたくないんだけどね。

 この主任さんは、僕より7つか8つぐらい年下なんだけれども、しっかり&きっちりとしたヒトだ。仕事もそうだしニンゲンとしもおそらくそうだろう。僕とは正反対のヒトだね。主任の話の内容はちゃんと覚えているんだけど、ジブンがナニをしゃべったかはっきり覚えていないんだ。

 だから僕とは仕事終わりに話をしてはいけない。 家に持ち帰って改善案は考えたので、後日報告しようかと計画している。こういった脳みその老化はもうどうしようもないのだが、体の老化についてはなんとかしたい。

 湯治に行こうかと考えている。一泊二日ぐらいで。長期の休みがとれないだろうから近場で。遠かろうと近かろうと温泉は温泉。目的は湯治でもあるけれども、旅に出ることが重要。というより旅に関心を持ち続けることが大事。想像でもかまわないから。それなら病に伏していてもできる。

 テレビを観てでもいい。ラジオを聴いてでもいい。本を読んででもいい。頭の中で旅を想像することが大事なんだ。認知症のヒトと話していても、旅の話は盛り上がる。過去の旅の思い出ばなしでも、話していればきっと楽しいだろう。 

 実は場所も決めた。日々のおむつ交換などの業務で酷使した腰を労わってあげたいと思う。もう最近は電車に乗っていても座骨が痛くなる始末なんだ。まあこれはズボンの後ポケットに財布を入れているのが原因なんだけど。

 おかげさまでこういう仕事をしていてデブの割に、腰は他のヒトより悪くないんだけどね。前に病院で観てもらったときには膝や腰は異常なしと言われたし。まあこれは親が丈夫に生んでくれたおかげなんだろう。日々ジブンでも気をつけてはいるけれど。 とりあえず湯治の旅に出よう。