前衛アングラ芸人・きぐるいツネちゃん(明智半平太)のブログ「昭和50年代少年のKOTOBASM」

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

僕はもう選挙に立候補するかもしれない。―誰々が主役の政治ってなに?―








高齢者が生涯現役で働ける社会、活躍の場を生み出すことは政治の重要な責務です。一方で、新しい社会を創り上げていくのはやはり若い世代の役割であって、控えめに言っても高齢者の方々はそれをサポートする立場に回るべきではないでしょうか。


「新しい時代をつくるのは、老人ではない!」敬老の日だからこそ、高齢化が進む日本が取るべき政策を冷静に考えたい | 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト



  控えめなコトバなんていらない。率直にモノを言ったらどうだろうか。若い世代が主役というのは、ようは若い世代に”利権”をまわせということではないのか?おときたさん。

 政治というのは、世代などで区切って、どの世代を豊かにするかということではない。なるべくみんな公平に幸せになれるように働くのが政治家ではないだろうか。きれいごと?なにをいっているんだ。汚いヤツが多くてきれいにみえるだけだ。

 まあ選挙で選ばれるというのは、そういうモノなのかもしれない。誰かを不幸にしてでもこっちに利権をくれ、そうしたら投票してやるからみたいな。むしろ自分ではない誰かを不幸にしてというのが大事なのかもしれない。

 もうわからないのだ。こういうコトを書いている自分も、おときた案が主流になれば、介護福祉士だし報酬減らされるだろうなというのも脳裏にあるし。みんなが幸せになればいいという思考は実にむずかしいものだ。

 ただいえることは、ニンゲンが生きがいをもって生きる幸せという”パイ”は有限なものではない。限られたパイを奪い合うというものではない。パイを奪うことをアピールするのではなく、パイを増やそうとするのが、政治家の役割なのだよ。立候補するか自分。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。