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昭和50年代少年のKOTOBASM

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

「イケダハヤトとは付き合わない方がいいよ」という言葉を信じて、ぼくと距離を取ろうとする人とは、どっちにせよ、仲良くなれないんですよ。(イケダハヤト)







「イケダハヤトとは付き合わない方がいいよ」と言いふらしてくれるみなさん、ありがとうございます!! : まだ東京で消耗してるの?より


  俺もこういうことをよく言われていたよ。たしかに俺は欠陥だらけのニンゲンだし言われてもしょうがない部分はあるのだろうよ。だからこそ自分は言うまいとおもって、日々を生きているんだけどね。

 ただこうも思うわけだよ。力がない分際でそういうことを偉そうにほざいているけど、「付き合わない方がいいよ」って言うニンゲンのほうがたいてい友達は多いぞとね。

 もちろん世の中には、利害関係でつながっている友達関係っていうのもあるのだろうよ。たとえばいまこのヒトに逆らったら、日々の生活に支障をきたすから、とりあえず逆らわないでおこうとかね。

 そういうのを友達とはいわないというヒトもいるかもしれないけど、逆にそういうのを友達とするヒトも多いわけだよ。誰誰とつき合うなといわれて、ああこんなに自分のことを心配してくれてるんだと思うヒトもけっこういるとおもうよ。

 これは俺みたいに力がなくて、イジメなんかにあってきたようなニンゲンにしかわからない嗅覚なんだけどさ。世の中には”力があるヒト”、”ないヒト”、そしてその中間に、”「付き合わない方がいいよ」みたいな言葉をたくみに使って生きるヒト”がいるのさ。

 こういうことにたいして、「そんなモノはない」といえるヒトっていうのは、たいてい”力があるヒト”なのだよ。そんな下の方をみる必要もないようなヒトなのね。これも俺の嗅覚さ。

 ただこの日本というクニは、なんだかんだいっても力がなくてもなんとか生きていけるんだよね。そういう開き直りが大事さ。また力が弱くともつきあってくれるヒトへの感謝のキモチもね。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。