中公新書ラクレ「さよならインターネット」より
さよならインターネット - まもなく消えるその「輪郭」について (中公新書ラクレ 560)
- 作者: 家入一真
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2016/08/08
- メディア: 新書
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匿名であろうが実名であろうが本人性を担保するものが無い以上、本質的にはどちらでも変わりは無いと僕は思うのだけれど、目出し帽を被ることで必要以上に気が大きくなってしまうってことは多々あるように思う
アメリカの白人至上主義者集団にKKK(クー・クラックス・クラン)というのがあるのを知っているかい?奴らは白装束で白い覆面をかぶり、集団で黒人にたいして攻撃するのだけれどね。
インターネットを使って匿名で個人攻撃をするニンゲンってKKKと似ていると思うんだ。 白装束を脱げば、ふだんは個人としてマジメな社会人なのだろうけれども、ひとたび白装束の集団と化すと攻撃的になるわけさ。
いま話題の高畑裕太の事件があるじゃない。カレの事件は本来なら成人の起こした事件であって、母親の女優・高畑淳子には責任はないわけだよ。それでも謝罪させ、その謝罪をチェックし断罪し社会的に抹殺しようとすらするじゃない。
その手の発言をインターネットでするのは、たいてい匿名のニンゲンであって、あまり実名でするヒトは見かけない。なんで匿名でそういう発言をするのかというと、”目出し帽をかぶった集団”だからなんだよね。
集団といっても、目出し帽をかぶっているから個人は特定できないよ。けれども目出し帽の集団だからこそ個人の責任追及からは逃れやすい。すごい得体のしれない集団になっているから、必要以上に気が大きいことを言えてしまうわけだね。
個人単位になれば、それほど本気で高畑淳子を社会的に抹殺しようと強くはおもっていないはずさ。でも得体がしれない集団の一員になると違うわけさ。それでもし本当に社会的に抹殺されて、たとえば自殺とかしたとしようよ。
そうなったときには、個人単位に戻って、自殺することは無かった、自殺したのは”マスゴミ”のせいだなどと、自責の念も出てきにくく、他の責任を押しつけやすいところに
転嫁するのさ。そこが”目出し帽をかぶった得体のしれない集団”の特徴なんだよ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。