KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

差別を批判しすぎると窮屈になる(自民党関係者)

https://twitter.com/wildthingishere/status/768107775637360640より


 


 





 このヒトは同列に並べているけど、差別にたいして批判するのは当然。でも特権が与えられてはいけないわけさ。他のヒトからみれば”特権”にみえても、当事者の私たちからすれば”当然の権利”という話は別にしてね。

 たとえばアファーマティブ・アクションとかね。こういうのをやっちゃうと、いったいなにが公平なのかわからなくなっちゃう。これは特権のひとつになると俺は思うね。



 大事なのは双方がフラットな状態で声をあげられるかどうかってことさ。どっちかが恫喝まがいに声を大きくして、もう片方が声をあげられないようになるというのは、いちばんあってはならないことだよ。

 窮屈になるというのならば、真っ向から反論すればいいのさ。それをしないで相手のあずかり知らぬところで工作したりするのは卑怯だよ。けれども日本人って暗黙の圧力をかけたがるニンゲンが多すぎなのさ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。


 



ポジティヴ・アクション――「法による平等」の技法 (岩波新書)

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