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昭和50年代少年のKOTOBASM

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

世も末だという言葉はあるが  世の末が来たためしはまだないのだ(松本零士著「聖凡人伝」)







「聖凡人伝」第一巻より


 



聖凡人伝 (1)

聖凡人伝 (1)




 



 


  松本零士というと、「宇宙戦艦ヤマト」であったり、「キャプテンハーロック」であったり、「銀河鉄道999」だったりと、宇宙モノというイメージが強いけど、俺が一番好きなのは「男おいどん」だったりする。

 聖凡人伝も男おいどんと同じく四畳半モノといわれる作品なんだけど、実は宇宙モノも四畳半モノも根っこは一緒なんだよね。四畳半モノに出てくる押入れも宇宙なのさ。

 男おいどんに出てくる押入れはいっつも洗っていないパンツ(サルマタ)が押し込められていて、サルマタケというキノコが生えてくる。一方、聖凡人伝では、いくどとなく首つり自殺が起こっているわけね。

 人とはなんぞやというテーマを、各作品に出てくる押入れは僕らに訴えかけるんだ。洗わないパンツも首つり死体もおなじニンゲンの営みであるのだと。それらを包み込む押入れはまるで宇宙のようなのさ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。