KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

Kindleを買ったばかりのときは「やっぱ紙の本もいいよなぁ~。」とか思っていました。 ですがその考えは180°変わり、もう二度と紙の本に戻ることはないでしょう。(八木仁平 / 旅するプ��

Kindleのメリットが多すぎて、いつの間にか紙の本が読めなくなっていた | やぎろぐより


  kindleといういわゆる電子書籍というものが現れてから、読書のカタチがいろいろいわれるようになっているね。はたしてこのコトバのように、紙の本はもう必要ないのだろうか。

 結論からいうと、それはないね。紙の本と電子書籍、両方うまく使えるのがいちばんいいというのが俺の考えさ。最初はkindleどうかななんて持つ前には思ってたけど、使ってみるとこれはこれで使えるんだよね。じゃあ紙の本のメリットってなんだろう。

 まず読書っていうのは、いろんな感覚をもって楽しむものなのだよ。kindleみたいに片方の手の指だけ使えばいいかというとそうではないのさ。指の感覚、本の質感などいろいろ感じることで、その感覚というのは研ぎ澄まされるんだ。

 そして本棚にならべることで、ふだんの生活のなかで視覚的に楽しめるというのもある。また友人や好きなヒトを部屋に読んだときに、名刺代わりに自分はこういうヒトなんですよとアピールすることができるね。

 またこれは、これからの電子書籍の課題と考えるんだけど、やはり古い書物が読みたい場合は、古本にたよらないといけないんだよね。もっと絶版本なんかを電子書籍の作り手側が発掘できればいいのだけれどさ。

 そう考えると紙の本ってなくならないと思うね。でもスペースなんかを考えたら、本の断捨離みたいなものは考えなければならないのは確かさ。だからkindleもうまく活用していかなきゃなと考えているよ。

 まずは部屋に置いておくのは、文庫本300冊、新書本300冊だな。あとは趣味のハードカバーやソフトカバー。俺の場合でいうなら懐かしネタ系の資料としての本。これだけは捨てられないし少しずつ増えていくだろうね。

 大事なのはそれこそコトバさ。それは紙の本でもkindleでも変わらない。どうやってコトバをチョイスし自分で楽しむかなのね。だからどっちがよくて、よくない方は使わないというものではないと俺は考えるよ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。