KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

「うちのじいちゃん日清戦争勝ったんだって。日露戦争も勝ったって。それから中国にも攻め込んだんだって。」そのうちに子どもが言うには、「アメリカと戦って、広島と長崎そして沖縄

1999年1月11日放送 NHK「視点論点」より


  先日亡くなった永六輔さん。放送作家であり、随筆家であり、ラジオパーソナリティでもある。そしてなんといってもあのアメリカのビルボードランキングで1位をとった「上を向いて歩こう」を作詞したヒトでもあるわけだよ。

 このヒトはテレビに出ることが珍しくてね、「視点論点」はそのなかで数少ない永さんの出演番組だったんだ。この回では、昭和1ケタ生まれとして、当時子どもだった者として、今の子どもに戦争体験を伝える大切さを話しているわけさ。

 子どもに伝えるというのはむずかしいよね。わかりやすく、なおかつ子ども扱いをしてはいけない。子どもというのは、おどろく感性を持っていて、ときに残酷な視点でものごとをとらえるんだ。

 「3勝1敗」の話もそうだよ。こんなこと大人には言えない。その先の話を大人はオブラードに包んでなるべく波風を立たせないように言うんだ。そうさ、”4勝目”の話さ。

 俺はさ。戦争をすることというのは、ニンゲンの自然な行為だと思っているわけ。「反戦」というのは、逆に不自然なんだ。不自然なことを理性を以てやるのがまたニンゲンだったりするのね。

 だんだんと戦争をかたりつぐヒトがいなくなってきている。語り合おうにも、いまはいろんな評論家や運動家たちが、世代というものに境界線を作って、若人と老人の対立を煽っては、小金を稼いでいたりする。困った世の中さ。敵はそこにはいないんだぜ。

今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。