新潮社「考える人」2012年夏号より
立川談志さんが高座の途中、観客があんまり妙なところで笑うもんだから、話をやめてしまったということがあった。つまり、それが「バカ笑い」だったってことでしょう。「お笑い」を笑うのにも作法がある。しかし、「笑い」っていうのは人それぞれにいわば、ところかまわずに出てきてしまうというものでもあるわけです。
俺もお笑いの舞台に立っていて「バカ笑い」というものに遭遇したことがあったよ。だからってネタを途中で止めはしないけどね。俺は談志師匠じゃないし、話をやめていいのは談志師匠だからこそだものね。
養老先生のいうとおり、笑いはところかまわず出るものなんだよ。これはネタをやる方に問題があって、「バカ笑い」を引き出してしまうのは、ネタの作り方が表面的なのさ。
ネタとしても面白いんだけど、表面の”ノリ”みたいなものだけで爆笑させてしまう。なにか裏があるんじゃないかと考えさせないから、観ている方もなにも考えずにその場のノリで「バカ笑い」をさせてしまうんだよ。
かくいう俺も、もう自分のネタは爆笑なんていらないんじゃないかって考えている。思わず静かにだけど、フフフって笑ってしまうぐらいのネタ。で、終わってみて話としてまあ面白かったかなぐらい、観ていたヒトに思ってもらえればいいのかなと。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。