KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ハゲが東京にどんな悪さをしたというのだ。(松尾スズキ)

「TVBlos」2016年第15号より



線路にハゲのおっさんが置き石をしたとしよう。でもそれは、ハゲが置き石をしたのでなく、おっさんが置き石をしたのだ。
舛添氏がハゲを隠しているのなら少しだけ責めていいだろう。しかしホテル三日月の会議の同席者の名は隠しても、ハゲはさらけ出しているじゃないか。そこは評価すべきところであってディスるべきところじゃない。 




 そうだよ。見習っていただきたいものだねあのヒトにも。沖縄県知事の…止めておこうか。ヒトサマの身体的欠陥をあげつらうのはよくないよ。でもその中でハゲというのは、けっこうみんな簡単にディスるね。俺もハゲとしてこれはどうかと思うよ。

 ちかごろみんなハゲに厳しすぎるんだよ。むかしはハゲヅラかぶったカトちゃんを優しい目で見つめていたじゃないか。そもそも今回の舛添要一の件だって、ハゲだから騒動を起こしたわけじゃないよ。

 舛添さんのばあい、都知事という公僕でありながら、顔と態度が生意気だったから、あれだけマスコミに叩かれたんじゃないか。じゃなかったら、甘利明とかパナマ文書はもっと叩かれているはずだよ。むしろスルーしてるじゃないか。

 その点で東京のとなりにある、わが故郷の知事は無難だよ。なんの仕事をしているのかもわからない。やっているのは、砂浜を走ることと頬を濡らす涙をまつ毛にためるだけ。誰も詮索しようとしない。やはり公僕というのはバカに徹するのがいいらしいね。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。


 



私はテレビに出たかった

私はテレビに出たかった