梅棹忠夫先生は、日本における文化人類学のパイオニアで、京都大学や国立民族学博物館の名誉教授を歴任したヒトなんだ。俺が中学ぐらいのとき、国語の教科書にも載っていたよ。君の前でなんだけど、先生、あのときは顔写真に落書きをしてごめんなさい。
先生は探検家でもあって、若いころはそれこそいろんなところに行ったんだ。そのうちのひとつが、白頭山というところで、現在の北朝鮮と中国の国境にある標高2744メートルの山なんだ。日本人でも中国側からなら今も登れるらしい。
梅棹先生は20歳のとき、この白頭山に登頂したんだって。20歳だよ。なんてドラマティックな人生だろう。しかもこのとき1940年だもの。まだ太平洋戦争がはじまる前だよ。
しかし現実は大変で、資金ぐりも大変だったみたいだね。ガイドも雇えずロクなもんも食えてなかったらしいよ。昼ごはんのおかずは塩こんぶとふりかけの「是はうまい」だけって。
是はうまい?
なんだそれ。そう思って調べたら丸美屋食品のふりかけだったよ。でも当時はえらい高級品だったようだね。ふりかけは軽量で簡単に栄養補給できるから、探検にはもってこいだ。
僕もふりかけが実は好きで、瀬戸風味はいつも常備している。常に持ち歩こうかとも思っているぐらいだ。是はうまいってどんなふりかけだったんだろうね。おいしかったのかな。いまや丸美屋といえば「のりたま」だけどさ。
今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。