KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、ということです。要するに、男というものは、「出産」ということについて実感を持ちたくない。だから同じビデオを見ても、女子のよ

新潮新書バカの壁」より


 


 さらにこう続く。
 



つまり、自分が知りたくないことについては自主的に情報を遮断しまっている。ここに壁が存在しています。これも一種の「バカの壁」です。



 
 これは「バカの壁」を読んだヒトなら覚えているヒトも多いであろう。冒頭に書かれている”妊娠についてのビデオ”における性差の事例だね。俺はこういうことをいわれると、性差で一概に語れないだろうと言っちゃう。

 でもそれで一蹴してしまうと、また新たな”バカの壁”ができてしまう可能性があるよね。俺自身の頭の中を掘り下げてみると、異性であるがゆえの想像力の欠如はあるだろうし、それに気づいていないこともあるよね。

 さあここでひとつの疑問がわいてくる。はたして”金玉を蹴られる痛さのメカニズムとその痛さを早急に改善する方法”というビデオであったら、はたしてオンナは積極的に”発見”をしようとするだろうか。

 これでもしまたオンナの方が積極的だったらオトコはかなりバカということになるな。もしかしたらそういうビデオを観て、さらにダメージを与える方法を考えているとしたら…止めておこう。くわばらくわばら。

 ていうかなぜいまさらバカの壁?もうかれこれ10何年も前の本じゃないかと君は思うかもしれないね。答えは簡単。ただ単に俺が養老先生好きなだけさ。もう一回さらっと流し読みして、このブログに使えそうなコトバを探しているわけ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、俺は君の傍にいる。


 



バカの壁 (新潮新書)

バカの壁 (新潮新書)