KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

趣味に高じることはプライドを守ることにつながる

 仕事というのは、労力を提供して報酬を得る。メシを食っていくために、仕事はしなければならない。けれども仕事というのは、労力とともに、プライドを切り売りしていかなければならないものだとつくづく感じている。

 上下関係もさることながら、仕事の仕組みにゆがみがあると、その仕組みに疑問を感じる前に、下の方で働かざるをえないニンゲンというのは、他の者の足を引っ張ろうとする。それがガス抜きになるのならと、上の方のニンゲンはそれをみないことにしている。

 そんなところでプライドがどうこう言っていたら、ニンゲンというのは生きていけないものなのだろう。だから仕事というのは、時に砂を噛む思いをしながら、プライドを切り売りしなければいけないのである。そういう時代にニンゲンはどのようにして生活していけばいいのか。

 そのひとつに「趣味に高じる」というのがある。趣味に高じれば高じるほど、その楽しさは頭の中を巡ってくる。仕事の対人関係において、それこそ殺したくなることがあったとしても、発想を転換して楽しい趣味のことをおもえば、
それを一時、忘れさせてくれる。

 趣味に高じるというのは、ニンゲンとして高等な生きるテクニックなのではないだろうか。だとしたら、そこでプライドというのは再生されるのではないだろうか。自己研さんのための学びもふくめて、それを仕事から帰ってできたとしたなら、それはすばらしいニンゲンの生き方にきっと繋がっていくのだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。