タフでなければ生きて行けない。優しくなれなければ生きている資格がない。

ジュリーがいた中野ブロードウェイ

 中野はもう数えきれないほど来たが、ブロードウェイははじめてだった。あの有名なまんだらけも中野ブロードウェイにあるというのは知っていたのだが、どこにあるのかは知らなくて、中に入ってここにあるのをはじめて知った。

 

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 中野ブロードウェイは、昭和41年に開業。地下1階から4階までが商業施設。5階から最上階の10階までがマンションとなっている。50年の時を経て、紆余曲折があったであろうその商業スペースは、いろんな痕跡があった。

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 ここがトークライブのあった中野440スタジオ。この前は泌尿器科の病院があったそうで、入ると病院独特のにおいが残っていた。幾多の性病に悩むヒトビトがここに通ったのであろう。その歴史のあらわれである。

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 非常口を出ると、これまた昭和の香りただよう趣のある建物がみえる。右側にみえるのが、ブロードウェイの住居スペースで、なんとあの沢田研二や岸部一徳も住んでいたそうだ。グループサウンズで活躍した昭和40年代であろう。そのころは真新しい高級マンションだったにちがいない。当時にタイムスリップした気分になった。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。