KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

言ってどうにもならないこともある。【長谷川豊への最後のコトバ】

そして、ネット上のみんなも、ちょっと聞いてほしい。

乗っかって、
僕を叩いて、
ご覧のように僕はテレビの仕事を失いました。

これでみんなに何か残ったか?
君らに何かプラスがあったか?

君らがネットにうっ憤を晴らすしかできなくなったのは、社会のせいじゃない。君ら自身の性格や努力不足のせいだ。

下らないネットいじめに乗っかって、必死にパソコンを打つの、いい加減もう辞めときな。
言いたいことや不満があるなら、これからは直接僕に言いに来い。そんなことまではする気はないだろ?

長谷川豊公式ブログより

 僕はこれまで、この長谷川豊というヒトをことあるごとくブログで批判しつづけてきた。それこそ今回の騒動のかなり前から。それでも今回、各々のテレビ番組を降板させることには反対であった。それはカレが仕事をすべて失ってしまったら、もう批判することができなくなるからだ。

 叩くというのは、相手に地位がある程度あるから叩けるのであって、多くの物を失ったニンゲンを叩くのは美学がない。長谷川にも問題があったが、みんなでよってたかって、カレが多くの仕事を失うまで裏工作する。そこにはたして美学はあったのだろうか。

 前に市議会議員が病院で傲慢な態度をとって、これもみんなで袋叩きにしたことがあった。それでその議員は自殺してしまったことがあった。また同じことをくり返すつもりなのだろうか。ないことを祈るが。もしそうなったら、また「マスゴミが悪い」と責任をなすりつけて、時を経たのちに、事実を忘却の彼方に送り込むつもりか。

 しかし無責任だともいえない。ハナから無責任なのはわかりきっているのだから。インターネットとはそういうものだ。覆面をかぶったニンゲンが、フォークダンスのマイムマイムのように、丸くなって手をつないで、みんなで中にいる長谷川を蹴りまくっても、だれが大きなダメージを与えたかなんて知る由もないのだから。

 だからむしろ長谷川はブログでこんなこと書いている場合じゃないのだ。何度もいうがインターネットはそういうものなのだ。まず回線を切れ。それで駆けずり回って、結婚式の司会の仕事の一つでも探してこい。ドサ回れ。家族を食わせていかねばならぬのだから。それしかかけてあげるコトバがない。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。