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昭和50年代少年のKOTOBASM

団塊ジュニア世代とも、悲劇の世代ともいわれる昭和48年生まれが管理する、昭和ノスタルジーといまを語るblog。僕たちが生きてきた証のことば。それはイズムそのものである。(明智半平太)

まだ”好きなことを仕事にする”で消耗してるの?てへ♪







 ちなみに「てへ♪」は昔の薬師丸ひろ子の笑顔のイメージで。

 なにかこうこのごろ目にし耳にするのが、”好きなことを仕事にする”や”遊びが仕事になる時代がくる”みたいなコトバなのである。おまけでそれにあわせて、”いまあなたのやっている仕事なんてどうせ将来なくなるのだから”というのも。

 はたして”好きなことを仕事にする”っていうことは可能なのだろうか。僕がおもうに、金をかせぐとなると結局は、好きじゃないこともやらないといけないし、それでも”好き”を強行突破しようとおもえば、誰かを時には詐欺まがいの方法を駆使して踏み台にしなくてはいけなくなる。

 踏み台上等?でもヒトを踏み台にするには相応の実力がいるし、どんなニンゲンでも、ああこいつはこっちを踏み台にしようとしているなと気づく勘は程度の差はあれど持ち合わせているものだ。タチが悪いのは、まがい物を売りつけているのに、それに気づかずいい物を売ろうとしていると思っているヒトだろう。悪意がないだけタチが悪い。

 そしてもっとタチが悪いのは、そういうヒトたちを煽って、セミナーなんか開いてひと儲けしちゃうヒトだ。そのセミナーの内容なんて技術論などない。コトバはいろいろ変えていても、いきつく先は”マインド(心、精神、意識)”で、失敗すればマインドが足りなかったで終わり。これがまさに”踏み台にする”ということなのだ。消耗するぞ。

 ブログだって、結局それで稼ごうとしたら、玉石混淆なものをあの手この手で売らなくてはならなくなる。アフィリエイトってヤツだ。恥を知らない輩は平気の平左で石も売ろうとするのだが、そんなヤツの書いていることなんてはっきりいってつまらない。

 ”踏み台にしてやろう”という意識がすけて見えてしまうからだ。表向きは挑発的なことをちゃちゃっと書いて”炎上狙い”などしてしまうのだが。それに比べたら、趣味と割り切って書いているヒトのブログのほうが面白いのであった。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。