KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

”趣味は読書”をやめてみた

tfdrsedf_TP_V


 とはいっても、読書しているのはこれまでどおり。ブログやSNSのプロフィール欄に載せるのをやめた。読書は趣味じゃない。生活の一部だろう。それを言ったらテレビ鑑賞もか。趣味というものに対して再考が必要だ。

 だいたい読書が趣味というと、どういった本を読んでいるのか聞かれる。ほっといてくれと思う。そんなこと初対面で聞かないでくれと。それってどんなジャンルのアダルトビデオをみて興奮しますかっていうのといっしょのような気がするのだ。

 それと似たパターンで、おすすめの本を教えてというのもだ。ジブンで探せよそんなもの。僕とあなたはちがうニンゲンなのだから。僕がいいとおもう本があなたにとっていい本とは限らない。各人にとってちがうのだ。読書いがいに共通の関心や興味があるなら、専門の本を教えてあげたらいいけれども。

 それらをひっくるめて、読書そのものは趣味ではないなということだ。あと頼むから僕にビジネス本をすすめるのとかやめてほしい。プレゼントされたって困る。ビジネス本に書いてあることなんて、頭で考えることではない。おのれの身をもって知るものだろう。

 ”読書が趣味”を表明すると、たまにジブンの価値観を教えたがる露出狂のようなヒトが出てくる気がするので、やめることとした。コートをバッとひろげて「ほーらみてごらん」なんてやられても。見ないよ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。