KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

テレビ探偵団と浅沼稲次郎暗殺事件と日本シリーズ




 『テレビ探偵団』(テレビたんていだん)は、1986年10月12日から1992年3月29日までTBS系列局で放送されていたTBS製作のバラエティで、日曜日の夜19時半からやっていた30分番組だ。僕はこの番組が大好きで、毎週欠かさず観ていた。

 もうこの当時から懐かしネタが好きだったということになる。当時は中学生から高校生だったのだから、ジブンが懐かしいというよりも、当時すでに懐かしネタになっていた、すなわち僕が生まれる前のテレビ番組に興味があったということになる。

 前々回に書いた日比谷公会堂のハナシに出てくる「浅沼稲次郎社会党委員長暗殺事件」の映像をはじめて観たのは、この番組だったとおもう。この筑紫哲也さんがゲストだった回が、いちばん僕のなかで印象に残る好きな回だった。

 あれは日本シリーズ中のできごとだったのだ(動画の8分40秒あたりを参照)。大洋(現・DeNA)対大毎(現・ロッテ)というもはや僕が存命中にはお目にかかれないであろう、今でいうベイスターズとマリーンズという組み合わせもまたすごい貴重だ。

 僕が大好きだった西本幸雄監督の、初めての日本シリーズ監督試合でもあった。このシリーズで西本さんはスクイズの指示を出して失敗し、それが原因でオーナーと喧嘩し、辞任してしまったのだが、いろんな「もし~だったら」というのを考えると感慨深い。

 もし辞任しなかったら、次の年に日本一になり、後年「悲運の名称」なんて言われなかったかもしれない。阪急や近鉄の監督もやることがなかったかもしれない。そしてそんな西本監督に僕は興味を持たなかったかもしれない。いろんな「もし~だったら」が考えられる。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。