KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ももち



 むかしからテレビで見かけると思っていたが、まだ24歳だったのだ。でも本人のなかでは、もう24歳なのかもしれない。ともあれ幼児教育の道にすすむというのはいい選択ではないだろうか。このヒトにあっている気がする。芸能界でずっと生きていくよりも。

 ご存じのヒトも多いだろうが、カノジョは「許してにゃん♪」という決め台詞とポーズを得意としていた。そのアイドル然としたふるまいにイラッときたヒトもいるだろう。しかしテレビカメラというのは、表の顔だけでなく時に他の部分をうつし出すことがある。

 このヒトがふとみせる真顔は、繊細で儚げである。キャラは強烈なのだが、それを演じることにかなりの労力を費やしているというのがみえてくる。それはまた、図々しさがないということにもなる。小学生から芸能界にいるにしては、珍しいタイプなのではなかろうか。

 だから20代前半で、カノジョが進路変更をするというのは、いい選択じゃないだろうか。ちがう立場からジブンの芸能人生をふり返ってみるというのも。それにしても芸能界にいてちゃんと勉強して資格をとったのは、ほんとうにえらい。それだけをみても、カノジョの人生は前途洋々にみえる。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。