KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

水の事故にはくれぐれもお気をつけて【プロローグ】

またこのブログに戻ってきてしまった。ここのところ仕事での疲れもあって、思考が停止したようになって書くことも思いつかない状況にもなった。もうちょっと肩の力を抜いて記録してみたい。

過去も未来もそれはまるで8ミリカメラのフィルムのように

過去も未来も存在せず、あるのは現在という瞬間だけだ。と言ったのは、ロシアの文豪トルストイである。たしかに時間というのは、実体がない。”何時何分”などというのは、ニンゲンの都合上、数値化したものにすぎない。

ヒトは死んだらどうなるのか

あるヒトがこんなことを言っていた。”ヒトは死なない(肉体が死んでも)触覚がなくなるだけだ”と。死んだこともないのに、よくそういうことが言えるなとツッコミのひとつやふたつ入れたくなってしまうのだが。