KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

2019-12-09から1日間の記事一覧

安楽死について思われる

ニンゲンだから生きることについて、疲れると感じることはままある。けれどもだからといって、では死ぬかということにはならない。それはあくまで極論にすぎないであろう。