動画でふり返る昭和~平成初期
民営化になる前、国鉄であった時代というのは、駅員も態度が横柄でどことなくなんだかんだいっても、俺らがいないとおまえらの生活なんて成り立たねーんだからなというような傲慢さみたいなものがあった。
そのむかし。左卜全さんが歌った「老人と子供のポルカ」という歌があった。その3番の歌詞が「やめてけれ。やめてけれ。やめてけーれストスト。」 であった。要はストライキなんてやめてくれよというのである。
先日、元横綱の双羽黒こと北尾光司さんがお亡くなりになりました。僕は昭和末期に相撲をよく観ていて、双羽黒はそのころに活躍していた力士なので、さみしいかぎりです。
www.nikkansports.com いま思うと、奥様の樹木希林さんの葬儀のとき。内田裕也さんの表情は神々しかった。もうあのときから、この結末は決まっていたのではないかとさえ思われる。あくまで結果論にすぎないのであるが。
先日、ニュースをみていたら、国会で彼がえらい剣幕で吠えていた。さすが山本太郎、ヒトからの見られ方というものを熟知している。たしか来年、改選ではなかったか。こういうヒトが国会議員なのも貴重だと思うので、がんばってもらいたいものだ。
僕らの世代(昭和48年前後うまれ)というのは、不運の世代と呼ばれていて、たとえば就職難であったり、その前にも受験戦争であったり、人口が多いということもあって、いまの若い世代のヒトとはまた違った苦労みたいなものがあった。
昭和から平成にかけてのころは、いまの皇太子殿下のお妃さまが誰になるのかという話題が、週刊誌やテレビのワイドショーなどで、よく話題になっていた。それはまさに、”ひらかれた皇室”を象徴するかのような現象であった。
「一杯のかけそば」というおはなしを覚えているだろうか。昭和から平成に変わるころに、まずラジオで”実話の童話”として放送されて評判をよび、産経新聞でとりあげられ、国会の質問で引用されるなどして話題となった。
いまでも”衝撃映像”を特集した番組はやっているけれども、平成初期ぐらいまでは、いまとは比べ物にならないほどの衝撃映像が、”ゴールデンタイムのお茶の間”にむけて流されていた。
あともう少しで平成が終わろうとしている。昭和が終わるときは、終わる終わると頭の中では思っていたが、実際に終わったときは社会全体がゆれていた。おもえば昭和から平成に変わる前後というのは、元号だけでなく、いろいろなものが変わった気がする。