KOTOBASM

言葉を使うようになって、ヒトは”時”を作った。それまではただ目の前にやってくる”生”を生きるだけだったのに、言葉と時制を持ったがために、ヒトはやがてくる死というものに怯えるようになった。

昭和についてそう思われる。

バカ殿様はこれがないと物足りない

僕の家は両親が共働きということもあって、テレビを観ることじたいにほとんど制限がありませんでした。ドリフターズの番組というのは、当時PTAも、子どもが観るのにふさわしくないといっていたものですが、うちはふつうに観ていました。

昭和末期の相撲と令和のあいだ

先日、元横綱の双羽黒こと北尾光司さんがお亡くなりになりました。僕は昭和末期に相撲をよく観ていて、双羽黒はそのころに活躍していた力士なので、さみしいかぎりです。

芸能リポーターのお仕事

先日テレビを観ていたら、梨本勝の娘さんが出ていた。現在はお父さんの会社を継いでいるのだそうだが、突撃取材ではなくインターネットでネタを探していて、他にもコールセンターでアルバイトをしているのだとか。

ザ・デストロイヤーと足4の字固め

スチュワーデス物語

こういうニュースを見聞きすると、自分が歳をとったということを痛感する。堀ちえみさんのがん告白のことだ。小学校高学年から中高生にかけて活躍したアイドルがこういった病魔におかされるというのは、とても切ない。

千代田送信所のスーパーターンスタイルアンテナ

今月は土曜日曜と大学のスクーリングがあって、市ヶ谷の校舎まで通っている。日曜日は16時半で講義が終わるので、日本テレビの分室に寄り道してみた。市ヶ谷駐屯地に勤めていたころに行ったきりであるから、25年ぶりということになる。

市原悦子さんとまんが日本昔ばなしの「教訓」

多くの映画やテレビドラマに出演し、民放のテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」で、声優としてもお茶の間に親しまれた市原悦子さんが12日、心不全のため、82歳で亡くなった。NHKニュースが報じた。 市原悦子さんが心不全のため死去「まんが日本昔ばなし」で…

ごめんただそれだけなんだ

いま僕が住んでいる神奈川県にあるテレビ局・テレビ神奈川では、月曜日から水曜日の22時から、ドラマ「俺たちの旅」の再放送がやっている。もとは日本テレビ系列で昭和50年にやっていたドラマである。

君はザ・デストロイヤーを知っているか

力道山・ジャイアント馬場・アントニオ猪木の3人と戦った経験のある存命中のプロレスラーは、もはやこのヒトだけかもしれない。プロレスラーというのは早死することが多く、いうなればそれだけ肉体的に過酷な職業なのだともいえる。

兼高かおる世界の旅

「兼高かおる世界の旅」と「すばらしい世界旅行」といえば、昭和の日曜日、お茶の間を楽しませた世界紀行番組の二大巨頭であるのは、いうまでもない。どちらも長寿番組であり、奇しくも同じ平成2年に放送を終えている。

黒電話

のところでも話したが、固定電話を真剣に考えている。スマホとちがい、有線であるから繋がりやすいし。相手がなにかあって、いざ公衆電話からかけてきたというときにも、スマホよりおなじ料金で長く話せるであろう。

柴田恭兵

つい先日まで、テレビ神奈川で「俺たちの朝」というドラマが放送されていて、録画しておいて暇なときに観ていた。そしてある回において、まだ脚光を浴びる前の柴田恭兵が出てきた。

動画でふり返る昭和~平成初期(4)皇太子さまご成婚までの道のり

昭和から平成にかけてのころは、いまの皇太子殿下のお妃さまが誰になるのかという話題が、週刊誌やテレビのワイドショーなどで、よく話題になっていた。それはまさに、”ひらかれた皇室”を象徴するかのような現象であった。

動画でふり返る昭和~平成初期(3)一杯のかけそば

「一杯のかけそば」というおはなしを覚えているだろうか。昭和から平成に変わるころに、まずラジオで”実話の童話”として放送されて評判をよび、産経新聞でとりあげられ、国会の質問で引用されるなどして話題となった。

動画でふり返る昭和~平成初期(2)

いまでも”衝撃映像”を特集した番組はやっているけれども、平成初期ぐらいまでは、いまとは比べ物にならないほどの衝撃映像が、”ゴールデンタイムのお茶の間”にむけて流されていた。

動画でふり返る昭和~平成初期(1)

あともう少しで平成が終わろうとしている。昭和が終わるときは、終わる終わると頭の中では思っていたが、実際に終わったときは社会全体がゆれていた。おもえば昭和から平成に変わる前後というのは、元号だけでなく、いろいろなものが変わった気がする。

まんが日本昔ばなし

「まんが日本昔ばなし」は、昭和50年に放送がはじまった、TBS系列(大阪の毎日放送が制作)のアニメ番組である。僕が子どものころは、関東では土曜日の午後7時からやっていた。

西小中台団地

甥っ子のお誕生日会に呼ばれて、千葉に行ってきた。稲毛駅からバスに乗っていく。稲毛は中学のときに住んでいたところの最寄り駅でもあったわけだが、中学時代もイジメとかあって、あまりいい思い出というのがなかった。

大徹

ここのところ記事がト゚がってばかりいたので、ここでまったりと昭和の思い出をひとつ挟もうかとおもう。昭和末期のころ、すなわち小学校高学年から中学入学にかけてのあたり、学校が終わっても、友達と遊ぶなんてこともなく家に帰るような子どもだった。

芸術の秋、スポーツの秋、読書の秋、食欲の秋、ホラン千秋

横浜は雲一つない秋晴れ。空気は温度が下がると、水分を蓄える量が少なくなる。空気が乾くと澄んで透明度が高くなる。ヒトビトの目に映る富士山こそは、日本における最高峰の芸術だ。

沢田研二と盛者必衰

ここ連日、このブログのアクセス数が急にあがった。なぜだろうと思ったら、どうやら過去にアップした記事が原因であると判明した。 なるほど。ここ連日ライブ中止の件で騒がれているものなあ、ジュリーったら。

アニメ「一休さん」の記憶

最近、携帯電話会社のテレビコマーシャルで、アニメの一休さんを見かけるのだが、平成生まれのヒトで知っているヒトはどれぐらいいるのであろう。そもそも放送がはじまったのが昭和50年である。

旧日本タイ協会(神田)

大学の講義を受けに行くところは、おもに2か所ある。市ヶ谷と水道橋だ。だいたいは通信教育部の本校舎がある市ヶ谷の方なのだが、教室の数かなんかの関係で、水道橋にある法学部の校舎に通う場合がある。

昔はガムって

平成に入ってからか。いつの間にかガムは粒状が主流になっていった。昭和には粒状のガムは無かったと記憶している。平成生まれのヒトで板ガムを食べたことがないヒトもけっこういるかもしれない。

昭和52年日本テレビの試験電波

テレビをつけっぱなしにして寝てしまうことがある。そのような状況でふと夜中に目が覚めると、いつものテレビの映像とは違うモノが流れてビクッとする。いまはほぼ24時間なにかしらの番組をやっているが、昔は違ったのだ。

ボットン便所とバキュームカー【後編】

【前回の続き】

ボットン便所とバキュームカー【前編】

子どものころ好きだったマンガのひとつに「トイレット博士」という作品があった。なかでも印象に残っていたキャラクターに、タメやんという人情に厚いバキュームカーの運転手がいた。

40年前の日本テレビとニュース&天気予報

また24時間テレビの話で恐縮だが、この番組が登場したのはちょうど40年前の昭和53年である。日本テレビの開局が昭和28年であったので、開局25年の記念ということではじまった。

それはまるでタイムカプセルのように(後編)

それはまるでタイムカプセルのように(前編)からの続き。 しかし本放送から37年経過してから観ると、まるでタイムカプセルを掘り起こして中身を見ているような気になる。そして37年前には37年後のことなど想像もつかないのだろうなと考えさせられる。

それはまるでタイムカプセルのように(前編)

毎週録画して観ては保存している番組がある。日曜日のお昼にやっている「NHKアーカイブス あの日 あのとき あの番組」だ。しばらく高校野球中継でお休みしていて、再開後の第一弾が、「NHK特集・勝負~名人への遠い道~」だった。