昭和コラム
昭和から平成にかけてのころは、いまの皇太子殿下のお妃さまが誰になるのかという話題が、週刊誌やテレビのワイドショーなどで、よく話題になっていた。それはまさに、”ひらかれた皇室”を象徴するかのような現象であった。
「一杯のかけそば」というおはなしを覚えているだろうか。昭和から平成に変わるころに、まずラジオで”実話の童話”として放送されて評判をよび、産経新聞でとりあげられ、国会の質問で引用されるなどして話題となった。
いまでも”衝撃映像”を特集した番組はやっているけれども、平成初期ぐらいまでは、いまとは比べ物にならないほどの衝撃映像が、”ゴールデンタイムのお茶の間”にむけて流されていた。
あともう少しで平成が終わろうとしている。昭和が終わるときは、終わる終わると頭の中では思っていたが、実際に終わったときは社会全体がゆれていた。おもえば昭和から平成に変わる前後というのは、元号だけでなく、いろいろなものが変わった気がする。
「まんが日本昔ばなし」は、昭和50年に放送がはじまった、TBS系列(大阪の毎日放送が制作)のアニメ番組である。僕が子どものころは、関東では土曜日の午後7時からやっていた。
甥っ子のお誕生日会に呼ばれて、千葉に行ってきた。稲毛駅からバスに乗っていく。稲毛は中学のときに住んでいたところの最寄り駅でもあったわけだが、中学時代もイジメとかあって、あまりいい思い出というのがなかった。
ここのところ記事がト゚がってばかりいたので、ここでまったりと昭和の思い出をひとつ挟もうかとおもう。昭和末期のころ、すなわち小学校高学年から中学入学にかけてのあたり、学校が終わっても、友達と遊ぶなんてこともなく家に帰るような子どもだった。
横浜は雲一つない秋晴れ。空気は温度が下がると、水分を蓄える量が少なくなる。空気が乾くと澄んで透明度が高くなる。ヒトビトの目に映る富士山こそは、日本における最高峰の芸術だ。
ここ連日、このブログのアクセス数が急にあがった。なぜだろうと思ったら、どうやら過去にアップした記事が原因であると判明した。 なるほど。ここ連日ライブ中止の件で騒がれているものなあ、ジュリーったら。
最近、携帯電話会社のテレビコマーシャルで、アニメの一休さんを見かけるのだが、平成生まれのヒトで知っているヒトはどれぐらいいるのであろう。そもそも放送がはじまったのが昭和50年である。
大学の講義を受けに行くところは、おもに2か所ある。市ヶ谷と水道橋だ。だいたいは通信教育部の本校舎がある市ヶ谷の方なのだが、教室の数かなんかの関係で、水道橋にある法学部の校舎に通う場合がある。
平成に入ってからか。いつの間にかガムは粒状が主流になっていった。昭和には粒状のガムは無かったと記憶している。平成生まれのヒトで板ガムを食べたことがないヒトもけっこういるかもしれない。
テレビをつけっぱなしにして寝てしまうことがある。そのような状況でふと夜中に目が覚めると、いつものテレビの映像とは違うモノが流れてビクッとする。いまはほぼ24時間なにかしらの番組をやっているが、昔は違ったのだ。
【前回の続き】
子どものころ好きだったマンガのひとつに「トイレット博士」という作品があった。なかでも印象に残っていたキャラクターに、タメやんという人情に厚いバキュームカーの運転手がいた。
また24時間テレビの話で恐縮だが、この番組が登場したのはちょうど40年前の昭和53年である。日本テレビの開局が昭和28年であったので、開局25年の記念ということではじまった。
それはまるでタイムカプセルのように(前編)からの続き。 しかし本放送から37年経過してから観ると、まるでタイムカプセルを掘り起こして中身を見ているような気になる。そして37年前には37年後のことなど想像もつかないのだろうなと考えさせられる。
毎週録画して観ては保存している番組がある。日曜日のお昼にやっている「NHKアーカイブス あの日 あのとき あの番組」だ。しばらく高校野球中継でお休みしていて、再開後の第一弾が、「NHK特集・勝負~名人への遠い道~」だった。
いまテレビ神奈川では、月曜から水曜の22時に、日本テレビで昭和51年に放送されたドラマ「俺たちの朝」の再放送をやっている。このごろこの時間帯は、日本テレビの懐かしいドラマの再放送が続いている。
昭和63年8月15日は、もうひとつの出来事があった。RCサクセションのアルバム「COVERS」の発売である。
それが昭和63年8月15日に日本武道館で行われた全国戦没者追悼式であった。
小生のなかではいまだに、あの日航ジャンボ機墜落事故について終わっていない。たしかに機体が壊れたのが原因であろうが、ではなぜ壊れてしまったのかについて、きちんと解決していないからである。
日本航空123便墜落事故が起きた昭和60年8月12日のあたり。あのころはどんな時代だったのか。当時の新聞をのぞいてみる。
NHKスペシャルは同局のドキュメンタリー番組で、前身はNHK特集という番組名だった。ちょうど昭和から平成になるころに番組が変わった。
【あらすじ】 中学生だったころの、夕方5時のフジテレビの思い出。中学校生活は面白いものではなかったけれども、まだそのころにはテレビという切り札があった。
このあいだテレビをチラッとみたら時代劇「必殺仕業人」がやっていた。そしてその回の悪役として、佐々木剛さんが出ていた。あの仮面ライダー2号の役を演じたヒトとして有名な俳優さんだ。
突然ではあるが、日本テレビのいく道は”王道”である。日本初の民放テレビ局であるし、”日本”テレビと名乗っている。そういう意味では王道をいかねばならないという宿命を持っている。
先日みうらじゅん先生の個展に行ったら、先生がコレクションしていた、シングルレコードのジャケットが展示されていた。そのなかでひときわ美しく輝いていたのが、”ノーパン喫茶の女王”ことEVEさんのジャケットであった。懐かしさがこみ上げてくる。
前回の記事で、忌野清志郎とタイマーズが、NHKで企業名の入ったコマーシャルソングを歌ってしまったというハナシを紹介したのだが、実はもう一つ、一般的にそれやっちゃダメでしょということがあった。
子どものころ千葉市に住んでいた。父方の祖父母は東京都板橋区に、母方の祖父母が千葉市のお隣の習志野市津田沼に住んでいて、家族で出かける際は父の運転する車で移動する。そしていつも千葉市の東京寄りの端っこにある幕張を通過していた。