KOTOBASM

頭の中にある思想は言葉ではない。映像でもない。いうなれば《もやもや》である。その《もやもや》を手先を使って記録することではじめて言葉になる。

ポンキッキの後は奥様の時間よ【小川宏ショー】

 ガキの時分のころ、平日の朝といえば、たいていはテレビのチャンネルを8にあわせた。関東でいうところのフジテレビである。7時半にピンポンパンがはじまり、そののち8時にひらけポンキッキになる。

  



 この1時間は子どもの時間であったが、それが終わると小川宏ショーのいつものオープニング、鐘の音が聴こえてくる。まさにここからは奥さま方の時間ですよというチャイムのようだった。

 話はかわって、落語の噺は一番なにが好きかと問われたならば、当代の三遊亭圓歌師匠の「中沢家の人々」とこたえる。いわゆる新作落語に属する噺であるが、昭和の東京の息吹を感じさせられる名作だ。

 その「中沢家の人々」に、圓歌師匠の幼なじみとして小川宏さんが出てくる。実は小川さんは子どものころ吃音持ちで、それを真似た圓歌師匠までいつのまにか吃音持ちになってしまったという話がでてくる。

 そんな2人が、のちにひとりはNHKのアナウンサー、もうひとりが落語協会会長になるというのだからすごい話だ。聴いたことがないヒトはぜひ。ちなみに音だけにして、頭の中で想像をふくらませながら聴くとさらに面白い。


三遊亭円歌・中沢家の人々


 あの吃音だった子が、冒頭の動画のするどい切り返しをするようになるなんて。そんな小川さんも先日鬼籍に入られ、またひとり昭和を代表するテレビ人がいなくなったというかんじだ。

 今日のところはこれまで。ごきげんよう。この呼吸が続く限り、僕は君の傍にいる。